女性性・男性性のバランス クンダリー二・ヨガ・ティーチャー・トレーニングの体験より Integrating Yin & Yang energy (Japanese)

ハリウッドヨガなどダイエットが中心の日本のヨガブームの中で、火の呼吸で知られているクンダリー二ヨガのイメージはまだ今一つのようですが、北米、ヨーロッパでは他のヨガと同様たくさんのクンダリー二ヨガ・スタジオがあり、住んでいたオタワだけでも先生も知っているだけでも30人位は有にいました。

クンダリー二ヨガとの出会いはトロントでティーチャートレーニング中の人が自分の学びのためにも安く教えているからと、友人に連れられて2,3回いったこと。その時、夫といって体から痛みがとれたことで、このヨガは効くかもと思いました。ある日ヨガ後の食事まで頂いた時、大先生に給仕してもらって「すみません」といっていたら、「先生は生徒さんに仕えるのが務め。」と笑顔で返されて感動したことを覚えています。オタワに引っ越してからは、マタニティ・ヨガ・クラスがクンダリー二・ヨガでした。歌うのがすきな私は同じ音を繰り返し唱える「マントラ」が気持ちよく、胎教にもとてもよく、それ以来6年間クンダリー二・ヨガ(KY)・ファンです。それ以前数年は色々なヨガを試していましたが、KYはどうも私の体との波長があったようです。ドイツのドレスデンに引越ししてきて、クンダリー二・ヨガがなかったことをきっかけに、自分でティーチャー・トレーニングに受けることにしました。

レベル1のトレーニングは1年程で、その後教え始めることができますが、さらに深く学びたい場合はレベル2で更に2年間(一週間ずつ年3回)。レベル1と2で大体1000日修行となり、禅などの修業と同じ期間だと気づいたことは新鮮な発見でした。まず己の深い変容の後、初めてエゴを越えて人に尽くせる師になれるという、ヨガ・ティーチャーのトレーニングの背景にある考え方は、ホリスティック教育の「魂レベルでつながって教育できるためには教育者自身の深い変容が必要」というジョン・ミラー氏や中川吉晴氏の言葉を思い出させました。

私は妊娠中ベビーと一緒にレベル1トレーニングに皆出席し、テストもパスして晴れて終了。一般クラスやマタニティ、ベビー&ママヨガなどを教えながら、産後10け月でレベル2を始め、今回は2回めのセッションでした。毎回、テーマがあるのですが、この11月のテーマは「関係」。

ついているフランスの先生、カルタ・シンは、ウェブ・サイトからサーチしてドイツの先生全部にメールを書き、バイリンガルでのトレーニングがないかきいたところ、ベルリンのコーディネーターから返事がきて(http://www.amritnam.com)場所が色々あって時期がフレキシブルだった点、それによって様々な所にいけるのが私のタイプにあっていると思った点で、決めました。この先生に限らず各国色々な場所でトレーニングは行われています(www.3ho.com) 。私のトレーニングでは毎回レベル1で100名程、レベル2では6,70名程、とヨーロッパ中から(中には北米、南米からも)の参加者がいて、この2年で随分各国の友人ができました。

先生によって若干違いはあるでしょうが、私達のトレーニングは大体早朝4時半からの2時間半のヨガ、他人のために尽くすセバ(Seva)の色々な仕事を終え、午前のヨガ・レクチャー、そして休息を挟んで更に午後のヨガ・レクチャー、遅昼の後は、夜のヨガ・レクチャーが10時半までとびっちり理論と実践が続きます。毎回ヨガとグループでのワークの組み合わせで、ヨガで体が開くため、潜在意識などに抑圧されていたものが開放されて意識化にのぼり、精神的に重いワークになることも。

11月終盤の一週間のセッションにむけて、40日間一つのヨガのポーズと、特別な菜食メニューが課題となりました。基本的にバスマティ・ライスと緑豆に香辛料、野菜の組み合わせだけでつくるスープのようなものと、水、ヨギ・ティーのみですが、栄養のバランスは十分。断食まではいきませんが、これによって、体がだんだん妊娠時のように敏感になるのが分かりました。高速道路を走る車や脇のガソリンスタンドやお店を見て人間が環境に侵したことやその利己的な点に悲しくなったり、(もともとほとんど有機物のお店しかいかなかったのですが)、普通のモールのお店に行った時買え買えという物欲を煽るような暴力的なエネルギーを感じて刺激が強すぎてクラクラしたり、スーパーのレジで無気力に打たれる伝票とベルトコンベアーで運ばれる大量のプラスティック容器に包まれた品を無関心で袋に詰める人の列に涙が出るなど、様々な暴力や怒りを体で感じました。

夫に二人の息子を預けて、いよいよフランスへ出発する時がきました。下の息子と長く離れるのは生まれて初めて。後ろ髪をひかれる思いを感じながら、駅で電車を待ちながら家族一緒のオーラから一人引き裂かれたような感覚で非常に心もとなくなりました。以前は一人でどこでも行っていた私が情けない。。。と思いながら、ほとんど2年ぶりの一人旅ということに気づきました。そして道中ドイツグループと一緒になり、アルプスのふもとにやってきました。

トレーニングの行われるところは高台で山々に囲まれた小さな村落が見下ろせ、一見して桃源郷のようなイメージでした。来る前から日々の美しいものに感動することが多くなり、今回は美しいことを体験するという予感がしました。

トレーニングが始まりました。一連のヨガで体が緩んできた後、過去の関係についてのワークが始まりました。自分の男性性、女性性の統合という点から見て象徴的に異性との関係(両親、兄弟との関係も含む)から自分の関係のパターンを見つけます。それをシェアしていくのですが、様々な感情も表出、中には性的虐待などの非常に重いテーマも出てきて、胸がしめつけられる思いでした。

お互いを信じ、部屋から出ないでプロセスする、ということで、私自身も感情が出るままに、逃げ出さずに隠さずにその感情と共に時間を過ごします。涙が出るまま、朝ごはんを食べたり。その内、不思議なことが起こりました。まず、出産時のように、おなかもこわしていないのに、何度となくトイレにいって、排便を繰り返すこと。また、今まで、ストレスがたまると食べることで解消することが多く、感情や思考を飲み込むことが多かったのですが、体がそれを拒否するかのように、飲み込めなくなったこと。これ以上、感情や思考を飲みこむのはうんざり!と、体が言っているのが分かりました。仕方なく食べるのをやめ、セミナールームに向かい、横になり感情に身を任せていました。

私自身の中から出てきたものは、両親がけんかをした後、父は仕事に出かけ、母が家に残されたイメージ。私の奥底で、外の世界が勝ち組、家庭は負け組―捨てられたものの場所のイメージが深く根付いて、今まで勉強、キャリアでの成功を追い求め、博士課程まで行き、母となって家庭にいることに時々恐ろしいほどの焦燥感と無力感を感じ、ホリスティックに育てたい自分の気持ちとの間で罪悪感を感じたのがなぜか、また、その経験から自分の感情や考えを残らず伝えると「捨てられる」という恐怖感で思いを伝え切れず飲み込んでしまうこと、それが関係で繰り返され、普段とりとめのない場面で時々「捨てられる」というパニックにも近い恐怖感になったことの追体験でした。

突然、自分の痛みから、母の痛みを感じて号泣にかわりました。そこから、出産の時に感じたように全女性の存在を感じ、個人の痛みを超えた、女性が過去受けてきた痛みの感覚を感じ始めました。それと前後して友人がヒーリングの空間を保つのを手伝おうかといってくれたので、喜んで受けることにしました。彼女が優しく私の腕を触ったあたりから、全身に震えが起こり、これはただ事ではないと思いましたが、不思議と怖さはありませんでした。意識ははっきりとあり、怖さから解放してリラックスしていられるためにも、「自分を越える力(大宇宙、カミ)に身を任せます。もうこのような痛みはたくさんです。全女性の傷の癒しのために私の体を使ってください。」と心の中で唱え続けました。その頃からでしょうか。地の底から沸き起こるかのような動物のなき声のような呻きが始まりました。悲しくて悲しくて身をよじる程の体を搾り出すような緊張から悲痛さを感じ、声の出し方からこれは出産の時と同じだ、と思っていました。レクチャーは始められる訳がなく、輪になった60人ほどの仲間がヒーリングのマントラを歌っているのが聞こえ、すすり泣きもきこえました。彼女の身に何が起こってしまうの?という恐怖感も伝わってきました。

しばらくしてから、一旦号泣が治まり、静かになったかと思うと、今度は体の奥底から沸き起こってくる怒りでまた体が硬直し、身をよじり、呻きのような声が響きました。恥を感じている暇はもうなく、身を任せて声を出し切ることに集中していました。その内に、突然何かがはじけ、山の間に見える村の集落と空が赤くなっているイメージが見え、恍惚感で満ち溢れ、内側から起こるあふれんばかりの幸福感に笑いがとまらなくなりました。この痛みは終わる、その後で平和な時代が訪れる!という確信を体で感じました。嬉しくて嬉しくて、皆に伝えたくなり、大声で”Everybody, it’s going to come! Polarity will be gone!! (「みんな、時代はやってくるよ!二極化(の時代)は終わる!」)と叫んでいました。伝えずにいられなかったのです。

その内、先生の一人がきて、「嬉しいのはわかるけど、戻ってきて。深呼吸して。」と私を抱きかかえながら言うのが分かり、なんでこんな時に私を戻すの?私はまだ戻りたくない!!と抵抗する気持ちもあったのですが、少しずつ深呼吸をして、意識を戻すことにしました。最初に感じたのが寒さ。毛布をかけてもらってぶるぶると寒さで震えながら彼女に抱えられてトイレに行き、顔を洗い、部屋に戻ってきました。寒さと脱力感で手を貸してくれた友人のひざの上でみなのシェアリングをききながら、眠ったり、起きたりして、だんだん意識が戻ってきました。

性的虐待などの重い話に悲痛さと怒りを感じながらさめざめと泣きました。自分の番となり、男性を前にして(象徴的に)話し出した時、感情と思考がすごいエネルギーで統合されて火の玉のように口からほとばしるように出てきました。本当に自分が話したのか、と後で思うほどで、一体どの位話していたことか。朝起こったことを交えながら、問いかけていました。
「あなた方一人一人の目にはこんなにも共感と思いやりが満ち溢れているのに、どこからこの暴力が出てくるのでしょうか。。。ここにいる女性の話しをきいて、身がもだえるよう辛くなりました。号泣していた時、女性全体の痛みと怒りを感じました。。。こんな痛みはうんざりです。暴力、自分に対する暴力、他人に、地球に、全て、やめると誓いませんか。今日限り、この場所で、今生男性として生まれたあなた方と、女性として生まれてきた私達、皆で。誓いたい人は手を挙げてください。」と今思い返すと気恥ずかしさを感じる程のことを、その時は全身全霊で言って締めくくりました。男性、女性共にすすり泣きがきこえ、半分位の手がささっと挙がり、先生達の手も挙がりました。

終わって気が抜けたようになった私は女性の何人かの人に涙の抱擁を受けました。「女性の痛みを代表してよく言ってくれた。」「これで癒された女性がどれだけいるか。」ある人は、話しているときの私の背に年老いたネイティブ・アメリカンの女性の姿を見た、とか、話している時私の後ろに年代を越えた何百もの女性が見えた、とか。その他、全女性の痛みで泣いていることが伝わって一緒に泣けてきた女性、これは出産だと直感じた男性。私が自分の体を使って、と言ったあたりで、先生がやっぱりというように頷いていたのを見た、とか、一生忘れられない日になったなど。私が感じていたことを言葉の介在なしに皆が感じていたことに感動しました。

ヒーリングをしていた友人は、私の感情がおさまってきたと思った後で、又すごいことが始まり、これは自分の力では及ばないと感じながら大きな癒しの力に全てを任せたそうです。その時探しても探してもハートチャクラ(感情や共感のエネルギーの中心)の存在が認められず、これはどこかに預けられている!と思ったのだそうです。それをきいた時、偉大な力が痛みを感じた心を癒してくれてたとしか思えない、とあまりに象徴的すぎて二人してしばらく笑えてしまうほどでした。

その後の男性の話では、母親の言動がどれだけトラウマになって、言葉が話せなくなったかを始め、妻として、母として、パートナーとして、自分がやってしまったであろうことに対する女性としての痛みと、そして男女は違っても同じ深さの痛みのあることで又さめざめと涙が止まりませんでした。男女それぞれ、それはそれは重いワークでした。私は、二人の男児を持つ母として、妻として、男性の精神的な去勢をするようなことは絶対にしまい、と深く誓いました。

怒りを混ぜて話し、名指しで私の提案に挙手はできなかったと言った男性がいました。心が痛み、避けたいと思っていたこの相手のことを話した時、先生の一人が「その人にこそ、ごめんなさい、といいに行くべきよ。あるいは直接でなければ他の人か、また違う機会に。それはあなたにとって癒しになるし、怒りや憎悪を感じるところにこそ、癒しが一番必要。その一歩をここで自分で始めなければ。」と言われました。最初は恐怖を感じつつ、翌日その男性参加者のところにいき「一番言いたくない話を勇気をもってしてくれてありがとう。心が痛んで涙が止まらず、妻として母として女として何をしてしまったか、と思うと、本当にごめんなさい、というしかない。このショックは男性に対する態度を省みる鏡となってこれからずっと私の心に残る。これからしない、と誓うきっかけになった。」といいました。すると相手も「言った後、なんて憎悪を混ぜて言葉を発したのかに気づき、しまったと思った。今のあなたの言った言葉で救われた。そして、あの日みなの前で話してくれたことは心をついた。挙手はできなかったと言ったけど、あの話をきけたことがここに来た何よりのかいだった。本当にありがとう。喜んで今は誓いの手を上げたいよ。」それ以後も、深い痛みのシェアリングの中で深く傷ついた中で、共感が生まれ、このように癒しが起こる場面に何度となく出くわしました。

その後、皆つきものが落ちたかのように、明るい顔になっていました。私も重い鉛玉の鎖を切って捨てたかのようで、それを引きずってきたすごいエネルギーをもう使わなくてよくなった軽快感を体で感じました。それと同時に余分なものが抜けたように40日間で産後の体つきから体重がうそのように減って体もすっきりしました。40日間感じていた怒りと暴力は、自分の中から沸き起こってきたものだったと感じました。いやな相手というのは概して自分のいやな部分を映し出しているから、と言われますが、その通りで、他人や外界で起こることに暴力と怒りを感じたのは、自分の中にあった暴力と怒りが潜在意識から意識化に昇ってきたからだ、と分かりました。

それと同時に、自分の中でずっともやもやしていた男性性、女性性の関係がすっきり治まり、初めて強い男性性が自分の中にうまく統合された感じがします。一連の出来事を出産を見ているかのようだったと言った人がいましたが、私としても、まさしく新しい私が生み落とされたかのような感じです。瞑想中にも象徴する色々なイメージが現れていましたが、その前日ブラジルから来た先生が、私のヨガでのスピリチュアル・ネームである、Ek Ong Kar Kaur (エック・オン・カー・カウア:創造主とその創造物に仕えるもの)という名を刻んだネックレスを持ってきていて即断で購入したというのも象徴的でした。

この一連の出来事は、全員の集合意識が起こした素晴らしい奇跡を具間見たようで、深く私を変えました。

プログラム中健康的な女性だけのコミュニティを体験したことも大きく、「家庭は捨てられた負け組みの場所」という体の記憶を、優しく塗り替えました。男性が出かける時、太古の時代、男は狩に、女は子と住みかを守る感覚を感じ、男性の恐怖心を感じ、それこそ火打石や、あるいは先住民の女性が大声で歌って送るというようなイメージが湧き、その意味が体で分かりました。勿論男性が帰ってきた時は本当に細胞一つ一つから喜びを感じ、一人一人をあたたかく受け入れたい衝動に駆られました。後で男性から、帰ってきて抱擁を受けて本当にほっとして嬉しかった、というコメントもききました。

現代、核家族で女性が孤独や不安の中、子育てをして思いあまって子供への虐待に陥ったり、また働く環境で今まで以上に競争をしていかなくてはならなくなり、また昔あった女性を支えるコミュニティのつながりがなくなりつつある中で、新しい形の女性のつながり、ネットワークの必要性を感じました。虐げられてきた女性性を安心して発揮できるサポートの場所を、様々な形で提供することは、個人にも、社会全体にも、健康的な方向付けを与えるのではないでしょうか。

女性デーだった日の夜、お互いにマッサージをしました。その時体の芯までリラックスしたパートナーの顔は、マリア様、菩薩様のような笑みをたたえたそれは安らかで神々しい顔で、涙が出るほどでした。他の参加者を見てもとても美しく、拝みたくなるようでした。その時、「これが真の女性の美しさなのだ。」と衝撃を受けました。女性がリラックスしていれば、真の女性性の美しさがフルに発揮できるのだ、と感じました。それは、しゃかりき頑張れる男性性のエネルギーとは出所の違うもので、この真の女性性をフルに表現できて、内在する男性性のエネルギーをバネに使うことができることが、これからの時代を生きていく女性としての鍵かと思いました。それは私にとって、従属する女性像を越え、その反動から生まれ男と肩を並べて競争する女性像を越えた、新しい女性像でした。女性、と書いていますが、逆は男性にもいえ、女性性を内在する上では弱いと思われる優しい部分をも受け止め、男性性のエネルギーをフルに使えること。また女性、男性という従来からのジェンダーの枠組で捉えきれないGIDやゲイの方なども含め、各々個人の中の女性性、男性性どちらを否定することなく、自分なりの統合の仕方を見つけられることの力。

移動も含めて9日間、3人の男性(夫、二人の息子)のもとに帰ってきました。今、面白いかのように、あんなに嫌だった家事が楽しくなり、外で働かなくちゃ!私は毎日何をしてるの?という呪縛のようにどこかでいつもあった一抹の焦りが不思議な位なくなり、子供は魂、神性の宿る小さな体。。。と心から思えて私はそれに仕える身なのだと思え、自分の所有物で何とでもなる、という気持ち、どうしたらしつけができるのか、などという不安が激減しました。

まだ他にも書きつくせない程色々な学びのあったトレーニングでしたが、男性性、女性性のテーマでいかに凍り付いていたものがあったかが特に象徴的でした。それを手放し、統合することで、新しい形の統合のイメージを自分なりに体感できたことが何よりの学びだったと思います。

この学びはホリスティック教育で言われている、今までの男性性、女性性を越えた「中性性」という点につながることだと考えます。それは内在する補完エネルギーの部分を統合させていくということで、極端なフェミニスト論や行き過ぎのジェンダー解放論などの混乱とは(時代を引っ張る方向性として機能し、段階の一つではあったと思うのですが)また筋が違うようです。そして、自分の身の回りの関係を少しずつ意識的に築いていくことこそ、世の中の極端な二極化主義が和らいでいくホリスティックな社会へのプロセスにつながると感じています。

そんな緩やかなホリスティックな社会を目指して一緒に皆さんと歩んでいけますように。

追伸:クンダリー二・ヨガの教本の翻訳始まりました。翻訳が完成されたら日本でもティーチャートレーニングが始められますので、ご興味のある方はご連絡下さい。info@MyHolisticConnection.com

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